最終更新: 2006年10月17日
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本文章は
大阪大学大学院情報科学研究科のWebページに,公式の情報は掲載してあるので,それくらいは読もう.
基本的に博士課程にはそれぞれの大学のしきたり,つまり明文化されていないルールがあり,それを遵守しない,あるいは知ろうとしない人間は罠にはまるようになっている.これは大学の最も悪しき部分だが,大学に限らず組織というのはそういうものであることぐらいは知っておいたほうがいい.人が集まれば競争が起こり,気に入らない奴を放り出そうとするのが人間である.博士の資格審査も,とどのつまりは「ふるいにかける」作業以上でも以下でもない.これだけは理解しておくこと.
なお,この文章は,このできそこないの私のジャーナル論文や国際会議発表論文の査読をしていただいた先生方,公聴会発表と博士論文の審査をしていただいた先生方,そして指導してくださった先生方および勤務先のボス達,協力してくれた研究室や勤務先の同僚達に対して最大限の敬意を示すために書いている.もし仮に先生方と同僚達の評価に対して誤解を生むような表現があったとすれば,それは如何に先生方が私を厳しく指導し,また同僚達が親切に助言,忠告,諌言,論破してくれたということを表現しているだけで,彼等に対する誹謗中傷等の意図は一切ないことを宣言しておく.文章の内容の責任は筆者のみにある.
本文中,必要のない人名や組織名は書いていない.個人情報保護は時代の趨勢であり,この文章も公開するものである以上その原則を守るべきと筆者は考えた.
…って,こんなこと書かないといけないようになっちゃったのよね.修士取って (1990年)から博士取る(2005年)までの間に,インターネットの利用者層は激変したんだよな.
「食うため」である.理系でコンピュータ屋で研究者として食っていくためには,結局のところ博士を取らないと,プログラマやシステム管理者の段階より先には進めない.大学や研究機関のほとんどは博士の取得を採用の条件にしている.仮に修士で企業の研究所に入れたとしても,役員にでもなれない限り,50歳になれば追い出される.特に私のように同じ会社で滅私奉公できずに,仕事の内容に疑問を持った時点で他の職を探すような根性のない人間ならなおさらである.(まあ,根性だけで生きていけるなら,不景気になったり,こんなに馘になる人間が発生するわけもないのだが.)
正社員以外のクビはいつでも切れるのが日本の会社なのだ.いや,正社員でも切りたいに違いない.私は社長は幸いにしてやったことはないが,昔ある会社の事業所を任された経験はあるので,予算の話などを聞いてこのことを知った.ヒトのコストがとにかく桁違いに日本は高いのだから.それだけ競争が激しい.それを生き抜く道具としての「博士」に過ぎないのだと,割り切ることが必要である.学問が好き,勉強が好き,研究が好き,大いに結構.でも,博士資格がなければ,研究屋で食べ続けていくことはできない.それが現実なのだ.
かつては「技術士」(筆者の場合は情報工学部門)が,割と学歴よりも実績を重視した資格という印象があった.私も技術士(情報工学)として,文科省に登録している.しかし今は技術士の所轄官庁であった旧科学技術庁が文科省に統合されたせいか,より学術的,悪くいえば大学の良くない要素を取り込もうとしているように見える.
もっとも,技術士資格を持っていると就職させてくれる会社は,少なくとも情報工学の世界ではないに等しいので,そういう意味では役に立たない. (建築などの世界では割とツブシが効くという話もあるが,知らない世界の人達のことを書いても仕方ないので,ここでは略す.) 全然役に立たない資格というのはないと思うが,何事も過信はしてはならない.もっともそれは博士でも同じだが.(もともと技術士は独立コンサルタントを社会に認知させる過程でできた資格なので,企業に雇われるという発想でいる人には向かないという意見もある.)
現実問題として,個人の単独の力で博士資格を取ろうとしても,そうそう取れるものではない.社会人博士の場合は勤務先の会社のボスに理解してもらわないといけない.企業からの「留学」というのがあるそうだが,私の場合は基本的には在学は認めるが在学と勉学の行為自身への経済的補助は一切行わない,ということになったので,この留学とやらにはあてはまらない.しかし,実際には勤務先との共同研究活動として業務を遂行しているので,業務としては認められていることになる.これぐらいやって自分の立場を担保しておかないと,後々会社を辞めざるを得なくなって兵糧攻めに遭うことになる.
あと,つまらない理由.
ちなみに,博士を取ったら給料が上がるなどと絶対に思ってはいけない.カネが欲しいのなら研究者なんかやめて,カネの集まる会社でカネの取れる仕事で死に物狂いで働くしかないだろう.残念ながらコンピュータ・プログラミングやコンピュータのシステム管理というのは,それ自身が単独でカネの取れる仕事にはならない.その背後に青色LEDなみの偉大なアイディアがあるか,あるいはよほど職人的な管理能力を要求されるシステムなら話は別だが.大プロジェクトの場合,集団でやるのでそう簡単に末端の個人へカネは落ちて来ない.
そもそも研究者というのは研究が好き,あるいは自分がそれをやりたいからそれでメシを食えるようにする,という目的で活動すべきであり,メシを食うために研究するというのはあまり割の良い考え方ではないように思う.本当に儲けたいなら,人のやらない仕事をやるに限る.しかし,儲けの多い仕事は,リスクも大きい.
結局のところ,教育というのは受ける側に取ってはカネを稼ぐための手段であり,与える側にとってはデキル奴を選別するための道具にすぎない.この本音を忘れたところで,博士資格を取るかどうかを判断しても,無駄であろう.「教育は,子ども(とその親)にとっては,何より『階層上昇(もしくは維持)の手段』であり,社会にとっては『職業配分の道具』なのである.」(山田昌弘「希望格差社会」p.159(筑摩書房,2004年)より引用)という原則を良く考えた上で判断しないと,博士に行ったのにカネが稼げなくて,結局は低収入の職に就かざるを得ないというジレンマに陥る.
以下,修士課程,あるいは博士前期課程の経験はあるものとして話を進める.高卒の学歴で無謀にも博士前期課程を受験しようとして門前払いを食った人の話を知っているが,基本的に博士後期課程の場合,修士の資格を取っているかその見込みであることが必要だ.
現在の大学教育では,社会人博士といえども「課程博士」,つまり大学に籍を置いて通うことが前提になりつつある.論文博士の制度もあるが,詳細は体験していないので略す.ただし,論文博士の対象者の選考は,課程博士の場合よりずっと厳しくなることが多い.また,中央教育審議会の大学院部会は,2005年4月14日に論文博士制度の廃止を提言する中間報告案をまとめている.
社会人博士の場合,まずどの先生に付いて勉強するかを決めなければならない.基本的に教授の推薦がなければ入学試験は受けられない.私の場合は,勤務先のボスに(私にとっても)旧知の先生を紹介してもらえるという大変幸運な状況だったが,そうでない場合でも自分のやりたいことを明確にして,それをやっていそうな教授の門戸を叩くということはできるはずだ.その先生と談判して,やれそうだったら試験を受ける,やれなさそうだったら他の先生を探す,ぐらいのつもりでないといけない.ここで我慢したり妥協したりすると不幸な人生を味わうことになる.
多くの大学で情報工学/情報科学分野の場合は,入学試験で英語の能力と研究計画のプレゼンテーションによる審査を行うようだ.私の場合,まだ大阪大学に対する大学院情報科学研究科設立の予算が成立しておらず,入学試験は大学院工学研究科の受験生として受けた.英語の試験内容は英文和訳が数問というものだったが,最近は私の在籍するマルチメディア工学専攻では,TOEICの成績をもって英語の試験に代えるようになったらしい(少なくとも修士,あるいは博士前期課程では明文化された).
研究計画は,大学へ入ってから3年で何をやるか,という計画概要をA4版1枚,プレゼンテーションは8分で行うという厳しいものであった.私の場合は「ネットワーク防御システムの研究」という題目で,今までやってきたことを大学の研究期間中にどうまとめるかについて話した.
入学試験ではとにかくプレゼンテーションにかけられる時間が短いので,話す内容を暗記するぐらい練習するか,あるいは一度書き出して読み上げてみて編集して時間調整をすることぐらいは必要だろう.スライドの枚数は1枚/分以上にしないこと. PowerPointの大ブレイクで世の中読みにくいスライドが多く出回っているが,基本的に人間の集中力と理解力をあまりアテにしてはいけない.字の小さいスライドは論外である.(そもそも研究者には近視の人達が目立つ.)
合格したら入学手続きをするが,その際もしあなたが40歳台なら20年ぐらい違う他の若人達に囲まれる覚悟はしておいたほうがいいだろう.彼等の大半は親切で有能なので,年寄りは努めて若い人達の教えを乞うようにすること.絶対に偉そうにしないこと.後々の大学生活で困る,いや,相手にされなくなる.
私の場合(情報科学研究科マルチメディア専攻)では,最低要求水準として
卒業年数 | ジャーナル論文本数 | 国際会議発表件数 |
---|---|---|
3 | 2 | 1 |
2 | 3 | 1 |
1 | 4 | 1 |
研究会やワークショップでの発表は,査読なしのものが多く,上記実績には計上されない.博論審査の際の研究業績リストにこれらの研究会の論文を含めることはできるので,研究会→(国際会議→)ジャーナル論文という形を取って本数を稼ぐようにするのが一般的だが,あまり研究会に時間を割いているとジャーナル論文が書けなくなるので注意が必要である.
実績として認められるジャーナル論文(学会誌査読付き論文)は,本人が第1著者でないといけない.国際会議発表は,第1著者として英語で査読付き論文を書き( フルペーパーあるいはワークショップどちらも可),その本人が英語で発表するということである.
国際会議は,幸い日本国内では多数開かれているため,業績に数えることのできる会議そのものは外国で開催されている必要はない.現に私が自分の研究テーマに対して発表した会議は,東京で開催されたものだった.若いうちに海外へ行って見聞を広めておくことは大事だが,ある程度の年齢になると自分の体力と相談する必要が出てくる.私のように持病の爆弾をたくさん抱えている人は特に注意しなければならない.
過去の研究実績を持っている人で,入学時の研究テーマに該当するジャーナル論文を書いている人は,それが実績に認められることが多い.国際会議発表も同様.
しかし,実際問題として博論を書く際のネタ振りに困らないようにするためには,少なくとも博論各章を構成できるテーマが3つは必要である.私の場合,国際会議のネタからジャーナル論文へ発展させたものが1つあったので,結局3年で出るためのテーマは2つとなり,博論の構成を工夫する必要があった(詳細後述).それらのテーマを統一する大テーマが必要になることは書くまでもない.
また,私の場合は国際会議発表経験はあったものの,ジャーナル論文を書いたことがなかったので,ジャーナル論文を書くための企画立案と実験,そして結果の執筆と編集に多くの時間を費した.まあ,これは誰でもそうかもしれない.
今後,上記だけでなく,企業での勤務経験(いわゆるインターンシップ)を要求しようという動きもあるらしいが,社会人博士ならば過去の業務実績が該当するので,その点は心配は要らないように思う.また,企業に雇用された経験がなくとも,他の大学でティーチング・アシスタントなどとして教えていれば良いという意見もあった.(この話はあくまで仮定なので,実際どうなるかは知らない.)
ちなみに課程博士の場合,私の所属した研究科も含め,最大6年間在籍することが可能であり,その間に上記実績を満たせば博士論文を書いて良いことになっている.しかし,実際には6年間在籍したあげく,1本もジャーナル論文が書けずにせっかくの既得権を放棄してしまい「単位取得退学」の憂き目に遭っている人達も少なくない.だから時間は貴重である.
論文はLaTeXで書く習慣をつけておくべきだろう.プレインテキスト(改行だけのテキストファイル)で表現できるものならなるべくそうしておくのが良い.ちょっとしたアウトラインはHTMLで書いておくと良いかもしれない.Wordは,Wordだけを使っている人に合わせるために使うものと心得ておくべきだろう.
LaTeXの数式編集能力とBibTeXの参考文献管理能力は,複数の論文や研究会報告で参考文献を一元管理して論文を書き進めていくためには欠かすことはできない.あと,組版そのものはLaTeXの方がWordより俄然美しく組み上がる.同じ中身の論文なら,きれいな方が印象が良い.
実験データをまとめる上では,Excelが定番だろうが,Excelの計算はいい加減なことが広く知られているので,ちゃんとやりたければソースコードのあるRや gretlといった統計ツールを使うか,自分でawkやCで書いてしまうのがいい. Cでは64bit整数の演算ができるのが案外便利だったりする.計算結果の正当性検査のためのregression test scriptを書いておくとこういう道具の開発には良いかもしれない.
エディタはvi ((j)vimとか) でも emacs でもどっちでもいいが,できるだけ同じものを継続して使うことが必要だろう.複数環境で作業する場合は統一しておくことを勧める.私はある時から emacs はまったく使わなくなった.起動がちょっとでも遅いとイライラするからである.
英文の場合はスペルチェッカをたしなみとしてかけておく必要がある.フリーのものなら ispell が定番だ.ただし,スペルチェッカでは構文チェックはできないので,どのみち人間が読まないと悲惨なことになる.
特に社会人の場合,時間を無駄にはできないので,1年や2年で(過去のジャーナル論文の実績を使って)出ていく人達も多い.私はこういう人達を見送るたびに,ジャーナル論文の実績のない我が無能ぶりを嘆くしかなかった.それほどまでに過去の実績は重要である.言い換えれば,実績のない人は実績を作るしかない.
だいたい1本のジャーナル論文を投稿から採録にまでこぎつけるのに10ヶ月ぐらいかかる(詳細後述).実際の研究作業を合わせると1年は見込まないといけない.つまり,3年の期間中に採録に持ち込めるジャーナル論文数は,多くて3本,普通は2本がせいぜいであろう.
作業時間の確保は個々人で事情が異なるだろうから一様には説明できないが,基本的に私は自宅で集中して物書きをする生活が身についていたので,実験結果の解析などはすべて自宅の環境で行った.データ量がそれほど爆発することもなく (せいぜい数ギガバイト),CPUも軽いOSと軽いソフトで解析すればせいぜい P3/1.3GHz程度の計算能力で済ませることができたのは,そういうテーマを選んだからである.メモリとディスクはいくらあっても困ることはない.
あとは,日々の生活をどれだけ博論とその関連研究に向けて合わせて行けるかにかかっている.ちゃんと研究室に必要な時は通い,他の同僚や先生方とD1の後半には親しく話せるようになるくらいにならないと,博論の完成は初めから無理かもしれない.特に博論の提出や学位申請のころになると,指導教授からケータイに呼び出しがかかってくることぐらいは覚悟しておかなければならない.
費用細目 | 金額(円) |
---|---|
検定料 | 30000 |
入学料 | 282000 |
傷害保険 | 3050 |
年間授業料 | 520800/年 |
学会費 | 約80000/年 |
2005年度からは阪大は授業料を上げているのでこの価格では済まないだろう.私が学士あるいは修士を目指していたころ(1980年代後半)に比べると,約 2.5倍の値上げである. 2003年度までは国立大学の学費はどこも同じだったので,東大と阪大も同じ学費であったと仮定している.
学会費も計算するとかなりの額である.割引できない社会人の場合,日本の学会は年間2万円弱,海外の学会はUSD250程度かかる.電子情報通信学会,情報処理学会,ACM,IEEE-CSに全部入っておこうと思うと,年間約10万円かかる計算になる.私の場合はIEEE-CSには(昔会誌のIEEE Computerがあまりおもしろくなかったので)入らずに,日本テレワーク学会に年1万円払っているので,年間8万円と算出した.
その他の費用も交通費,通信費(特にネットワーク回線の費用)など集めていくと相当の金額になる.コンピュータ・サイエンスの場合,大学の機材は基本的に研究の日常業務のためにはアテにしてはいけない(回線は落ちるし所詮は他人のものである)ため,自宅の計算機環境を整えるための資金も必要になるだろう.
さらに,詳細は後述するが,すべての論文は基本的には自費出版になる.研究会報告はそれほどお金はかからないが,ジャーナル論文や国際会議録となれば,1 件につき数万円から十数万円は取られる.これらは心ある指導教授ならば研究室の業績にかかる費用として出してくれる可能性は高いし,企業との共同研究にできていればその企業の研究費として出してくれる可能性もある.ただし,博士論文だけは,完全な自費出版になるため,大学の研究室や会社などの協力は得られないことがほとんどである.
このように具体的な数字を挙げていくと,博士後期課程はかなりカネをかけて勉強させてもらうという,誠にゼイタクな話になる.それに見当っただけの収入が以後得られるかどうかという保証は何もないし,費用対効果を単純に計算すれば割の合う時間の使い方とは考えにくい.あとから回収しようという発想では,おそらく十分な費用をかけてしっかり勉強することはできないだろう.
大学から社会人経験を経ずにまっすぐ博士後期課程に進んだ人達がよく口にするのは,かけた時間の割に収入が増えない,ということである.まあこれは(株式会社,有限会社,自営業などという形態の相違にかかわらず)企業社会の視点からすればそれは至極当然な話で,世の中学歴だけで人の価値や給料が決まるわけではない.むしろ,その人の目的意識の高さ,その達成度,そして達成していく過程での進歩の度合などが評価の基準になると考えたほうがいい.
最近は大学の中でまっすぐ博士になった人達に対して電話のかけ方から教えるセミナーがあるそうだが,社会人教育は大学の組織の中では実質的に不可能であろうと思う.カネの話は本人がカネにまつわる責任を持たされない限り理解できないものだからだ.大学ではペーペーのポスドクや助手に予算の権限はない.ちょうど企業でも入社したばかりの社員が稟議なしで決裁できる予算枠がないのと同じである.
個人的には,まっすぐ博士に行くだけでなく,むしろ学士あるいは修士の時点で一度数年間フルタイムの仕事を持って社会人経験をしてから戻ってくるというのがより望ましい姿だろうと思っている.その過程でおカネの稼ぎ方もわかるだろうし,自分の勉学の予算は自分で取ってくるというのが本来のやり方であろう.もちろん,交渉して他の人に出してもらうのも実力のうちなのだが.
実際問題,博論や関連論文の執筆と発表準備は最終的に一人で戦わなければならないので,家族の協力は不可欠である.彼等に博士資格の取得の意義を理解させられない限り,博士資格の取得は無理かもしれない.まず自分の人生のパートナーに対して,次に自分の両親に対して博士資格取得に時間を費す意義を説明しておく必要がある.幸い私の場合,(すでに亡き)父は戦前の大学制度に基づく博士号を取得しており,妻は阪大の助教授だったので,この点は苦労しなかった.いや,実際には「なぜ博士を取らない/取れないのか」と,日々せっつかれていたのが実情である.
我が家には子供はいないので子供のいる家庭での事情について細かく書くことは控える.しかし,老親の介護などの作業が発生すると,著しく論文書きの速度に影響することは避けられないのは事実であり,子育ても同様の要因であることは容易に想像できる.特に女性には大きな負荷がかかる.だから基本的に人生の早いうちに博士資格の取得はやっつけてしまったほうがいいだろう.私の場合父が亡くなった直後に博論執筆を始めなければならなかったのは,大変精神的には堪えた.もっとも,こればかりは何が起こってもいいようにしておかなければならない.
日常生活と研究者見習いの生活を両立して進めていく上でも,家族の協力は不可欠である.特に社会人の年寄りともなれば,「三食食べて夜眠る」生活を維持できないと,3年(程度)にわたる長期戦を戦い抜くことはできない.徹夜は実質的に禁止である.不要な宴会は避け,人付き合いも極力避けるにこしたことはない.冠婚葬祭のうち葬式以外は全部出席を辞退し,葬式も極力弔電で済ますぐらいにしておかないと,せっかくの休日を人付き合いの疲労に費してしまうことになる.
平日の宴会も,必要最低限に抑えておくべきであろう.最近読んだエッセイの中に「気に入らない奴と食事をするのだけは控えている,免疫力が落ちるので」という名言があったが,その通りだと思う.職務上の義務であればともかく,そうでないのに楽しくもない食事を他人とするくらいなら,一人で飯を食ったほうがまだマシであろう.かつて仕事で顧客ではなく,かつ「気に入らない奴」と飯を食ってから家に帰ることが多々あったが,そのせいで随分身体をボロボロにしたように思う.2002年夏に倒れた遠因かもしれない.
ACMの会誌であるCommunications ACMは,最近は特に論文調でなくこなれた文章が増えてきており,英文の論文をどう書くかの大変良い参考書になるので,情報科学/情報工学のプロを目指す人には一読をお勧めしたい.信学会や情処学会の英文論文がなぜ読みにくいのかが一目瞭然でわかるようになる(これらの学会の論文筆者の大多数は英語を母語としないのである種不可避ではあるのだが).
日本で研究をするなら,自分の研究会に適した日本の学会の研究会を1つ選んで,何度かちゃんと投稿,発表,参加して,そこの編集委員や運営委員の先生に顔を覚えられるぐらいになっておくと良いかもしれない.できれば論文誌の特集号の企画を組むだけの実力のある研究会に参加すべきだろう.そうすればジャーナル論文誌投稿のチャンスも増えるからだ.
学会であまり有名になると,雑用を頼まれるようになるかもしれない.しかし,正当な理由を述べることができれば,心ある先生方なら忙しい事情を理解してくれるだろう.まあ,一方的に権威主義的な価値観を押しつけて来るような先生には,初めから世話になるべきではないので,避けた方が無難だ.(とはいっても,過去の「偉い人」を無碍に排除するわけにもいかないので,そういう人達がゴロゴロしているのが学会というものの怖いところではある.)
私の場合は,入学して最初の3ヶ月が病気による入院のため実質使いものにならならず,協議の上指導教授の特別な配慮で,1年の後期の講義にて発表を行い,その結果を併せて成績の査定を行うということになった.しかし,こう簡単にはいかない場合もあるので,指導教授やその他履修した科目を担当する先生方との綿密な打ち合わせをしておく必要がある.
進捗報告会で博士の学生に求められる態度は,ちゃんとした発表(通常質疑応答を含めて10〜20分)をするだけでなく,他の人達の発表にどれだけ突っ込めるかである.特に卒論や修論の追い込みになると,かなり緊迫した雰囲気になってくるが,その環境でどれだけ厳しい質問を出せるかが,能力評価につながるので,へたに手加減しないほうがいいだろう.
私は学部4年の学生を各年度に1人ずつ,結局2人担当することになったが,この進捗報告会では結局彼等のフォローもしなければならないので,自分の研究内容の発表もさることながら,彼等の(卒直に言って稚拙な)発表に対して,内容を補足したり,質問に代わりに答えなければならなかった.もっとも,研究テーマは彼等と協議の上(といっても実際にはこちらからほぼ一方的に)与えていたので,こちらの研究成果の弱い所も突かれることが度々あり,冷や汗ものであった.しかし,その分研究内容全体の検討も進めることができ,他者の批判に耐え得る内容に近づけて行くには役に立ったといえる.
研究パートナーとの実時間ミーティングは密に持った方がいい.もちろんメールなどでの連絡も大事だが,研究を進める上でわからないことは顔を合わせるか,せめて電話かテレコン(テレビ電話による会議)でやり取りしたほうが話が進む.複数メンバーの研究チームの場合,定期的な(少なくとも隔週に1度の)ミーティングを持つことも大事だろう.ただし,その場合でも自分にとっての指導者を1人選んでおいて,その相手とのミーティングは優先度を上げて別に持ったほうが効果的である.
もちろん,研究会報告や論文を書く時点では,共著者に査読してもらうことが大変重要になる.執筆の手順の中で,指導教授やその他の識者の意見をもらう時間を取らなければならない.私の場合勤務先の上司の1人は論文作業のベテランであったため,主張の甘さや弱さに関する綿密な指摘をもらうことができた.また,指導教授からは多忙にもかかわらず的確な指摘が返ってきた.この時役立ったのはAdobe Acrobatの「付箋」を付ける機能であり,PDFになっている論文上での場所を指し示しながら指摘ができるのは効果的だった.こういう作業に詳しく経験のあるパートナーを選ぶことも研究を効率的に進めるには重要である.
発表内容は完璧である必要はない.そもそもあなたの発表を聞いている人なんて,聴衆全体の1割もいないだろう.それでなくても日本人(あるいは日本の教育制度だけで育った人達)の大部分は質問能力に欠けており,何のために研究会に来ているのかわからないような人達がほとんどである.
しかし,そんな中でも,座長,そして会場の中には,あなたに対して質問を浴びせてくる,あるいは批判的コメントを叩きつけてくる人がいるだろう.討議には真剣にかつ誠実に対応しなければならない.嘘をつく必要はないが,不誠実な対応は研究者としての信用を失うからだ.また,質問をしてくれた人,あるいはコメントでコキ下ろしてくれた人がいれば,その人達には感謝しなければならない.最低限発表したセッションの後であいさつに行くことを勧める.こういう相手と研究情報を交換しておけば,仮に敵になったとしても相手の状況がわかるし,共同研究ができる相手であれば自分の研究の幅を広げられる良いチャンスになるかもしれないからだ.
ただし,発表の手順は,できるだけ完璧である必要がある.原稿を読み上げるだけではもちろん失格であり,発表内容を暗記するぐらいのつもりでやらなければならないだろう.自信を持って,明朗に発表することが必要だ.この文章ではプレゼンテーションの技法については述べないが,世にその手の書籍はワンサカと出ているし,教えてくれる人達もいるし,研究室の人達を聴衆にして練習するという手もあるだろう.特に母語でない言語で発表しなければならない場合は,プレゼンテーション全般がより困難になるので注意を要する(詳細は国際会議発表の章で述べる).
前述の進捗報告会の場合でも同様だが,自分の研究で使う用語,参考文献,グラフの書き方や発表スライドのスタイルに至るまでの表現手法は統一しておいて,それぞれ使い回せるようにしておくことが重要である. PowerPointのスタイル,GNUPLOTの初期化ファイル,BibTeXの書き方など,個別のアプリケーションの段階に至るまで統一するように日頃から心がけておく.そうしておかないと博論執筆の時点で泣きを見ることになりかねない.
研究会発表では,全国を行脚する必要があるが,出張の際いかに身軽に動けるようにするかも覚えなければならない技の1つである.出張先では当然仕事をしなければならないので,常時接続可能な宿を取るようにするのがベストだが,そうでない場合でも最低限の仕事はできるようにしておく必要がある.定額接続のPHSサービスと移動体からのアクセスのためのケータイによるインターネットサービスぐらいはノートPCを持ち歩く時は当然使えるようにしておくべきであろう.
なお,研究会発表は,いくらやっても査読付き国際会議発表やジャーナル論文の執筆の代わりにはならない.あくまで練習としかみなされず,得点を稼いだことにはならない.しかし,たとえ研究会発表であっても,数を稼いでおいたほうが社会人の世界では勤務先の評価の対象になるので,機会を見てできるだけやるようにしないといけない.仕事は質も大事だが,量はよりわかりやすく評価されるのが世の中の現実である.
また,あえて書くまでもないが,締切は厳守しなければならない.特に,多くの研究会では紙の原稿,あるいはPDFのメールまたはWeb経由の電子投稿で 必着の期限が示されているので,これに必ず間に合わせること.同様に,研究会の執筆様式には従うこと.頻繁に投稿する予定のある研究会には,何らかのテンプレート(LaTeXならスタイルファイル)を作っておくと良いだろう.
この文章を読んでいる人の大多数はおそらく英語以外の言語が母語であると思う.そうなると,英語はたとえどんなに慣れていたとしても母語ではなく外国語であり,その発表速度,執筆速度,内容の正確さ,どのような要素を取っても母語よりは能力が格段に下がると思わなければならない.故に準備期間は長めに取る必要がある.
査読してもらうアブストラクトや論文は内容と同様に見かけも大事であり,ささいな文法的間違いで査読から落とされることは少なくない.仮に自信が少しでも持てないようであれば,何らかの方法で英語の達者な人に査読してもらうことは必須である.お金を払ってやってもらう手もあるかもしれないが,そうでなくても研究室の英文論文執筆経験のある人,特に英語を母語とする人,あるいは母語ではなくても達者な人に手伝ってもらうことは大変有益であろう.
国際会議の場合,国内の研究会に比べ提出期限は遥かに厳しいので,厳守すること.特に,投稿提出先のタイムゾーンには注意しなければならない.多くの国際会議では,締切が提出先の事務局の現地時間で決まるからである.
幸いにして査読が通ったら,まず読み上げるための口頭発表の原稿を書く.実際に発話する単語を書くこと.読みやすくするために, double-spacing で字は大きなもの(最低でも12pt,できれば14pt)ぐらいの proportional fontで書いて印刷しておく.読み上げ練習は,少なくとも通しで1回やっておくこと.こうすると発表原稿のページ数と発表時間との関係がわかるので,ページ数を加減しながら発表時間を調節することができる.ある程度調節ができたら,もう1回やる.丸暗記するまでやる必要はないが,折り目節目になる場所を決めて,間違えてはならない場所は強調しておくと良い.
PowerPointなどでスライドを作る際は,文章は極力簡潔にし,図表を多用して表現するようにする.それでなくても字の多いスライドは読みにくいし,強調すべき点が伝わらないままになってしまうからだ.
質疑応答の際,相手の言っていることが分からない時は,遠慮なく聞き返すこと.また,できるだけ返事は簡潔にすることが大事である.国際会議では英語が母語でない人達も多数いるので気後れすることはないが,不誠実な対応をしてはならない.恥ずかしさのあまり返事しないでいると,不誠実と取られかねないことがある.
国際会議では海外出張になることもあるが,その際の何を注意すべきかの細かい点については本文書の範囲を越えると思うのであえて詳しくは書かない.一点だけ挙げるなら,海外出張では思いの他体力を使うので,羽目を外さないことが大事である.さもないと,どんな事故や犯罪に遭うかわからない.また,インターネットへのアクセスだけは努力して確保しておくようにする.そうすれば同僚からの支援も受けられるかもしれない.
一般に,ジャーナル論文は,未発表論文でなければならない.つまり,すでに他の学会にジャーナル論文として投稿しているものを投稿してはならない.二重投稿は厳禁事項であり,これをやると信用を失う.
ただし,多くの学会では,査読なしの研究会や,査読があっても国際会議録の論文の内容は,未発表論文と同様に扱われ,ジャーナル論文として投稿することができる.これが故に,研究会(→国際会議)→ジャーナル論文という内容の流れが許されているのである.
多くの学会では,
詳細は各論文誌によって採録条件が違うが,特にテーマを決めない一般投稿の場合は,査読期間が比較的長く(半年以上,場合によっては1年以上)かかるので,課程博士を期限内に済ませようという場合はあまり勧められない.情報系以外の論文誌では,これよりももっと長くなる可能性がある.
論文投稿から採録までの時間を短くするためには,学会の研究会が主催する特集号へ執筆するのが効率的だろう.いつ掲載されるかが決まっているので,査読期間も短くなる.特集号の情報を得るためには,各学会のWebページの論文投稿に関する案内のページや,学会併設の研究会のメーリングリストなどでまわってくる投稿依頼(CFP, Call for Papers)が有用である.課程博士の場合は時間がないので,常に注意深くこれらの情報をチェックしておく必要がある.
また,場合によっては研究会や国際会議に発表した論文が,推薦論文として特集号に再度査読の上採録されることもある.数を稼ぐには,研究会報告投稿の時点でジャーナル論文書きを意識して作業を進めることが大事だろう.
情報系の場合,ジャーナル論文の投稿の際は,LaTeXでスタイルファイルの指定があるのが一般的である.この指定を守り検証できるようなTeX環境を用意しておき,必要に応じて自由に印刷して確認できるよう紙とプリンタのトナーはたくさん用意しておくべきだろう.
一度論文を投稿した後は,論文の処理状況を必ず定期的に確認する.最近はWeb サイトで処理の進捗を教えてくれる学会も多い.なにしろ通らないと人生設計に響いてくるので,この作業は精神的にはとても嫌なものだが,勇気を出してやるだけの価値はある.
投稿の前には,必ず共著者へ査読に回すこと.業績数を稼ぎたいのはどんな偉い先生でも皆同じであり,実際に指導を仰ぐ相手,例えば指導教授などは,必ず共著者に入れるのが,いわば暗黙の礼儀になっている.誰が著者に入るか,入らないかについても,あらかじめ全員の同意を取っておく必要がある.この投稿の前の時点で,厳しい指摘が入ることが多々あるが,これらの指摘にはできる限り従い,直せるものは極力全部直し,再実験も嫌がらずに行うこと.ベストを尽くしたのに落とされるならまあまだ諦めようもあるだろうが,そうでない場合,一生後悔しなければならないことはほぼ確実であることを(周囲を見る限り)断言しておく.
投稿した後査読者からの返事が来るまでは時間があるので,その間は他の雑事,あるいは投稿の時点で間に合わなかった(そんなことがあってはいけないのだが)研究の追加作業を終えておく.この間に研究会報告の1つも書いて投稿しておくと,数が稼げるし,後々の査読に対する回答と修正の際のヒントも発表の時に教えてもらえるかもしれない.
査読者から(ほとんどの場合郵便で)返事が返ってきたら,まず読む.落ちた場合は潔く諦める(納得できない場合は理由を問い合わせること).しかし,多くの場合は「条件付採録」,つまり「論文を掲載したいならこっちの質問に全部答えて,内容を書換えて再投稿しなさい」という要求が来ることになる.
一般に編集委員や査読者からの指摘は予想もしなかったもの,あるいは「ここは突っ込まれるかなあ」と思っているところを見事に突っ込んでくるものが多く大いに精神的打撃を受けることになるが,ここで諦めてはいけない.怒るか落ち込むかどちらかはともかく,感情的なブレをまず十分発散させてから 心を静めてもう1回指摘を通して読む.まずは指摘内容を理解することに努める.
仮に投稿の時点で真剣に研究していれば,この時点で指摘内容の半分ぐらいには回答ができるはずである.しかし,どうしてもその場では思いつかないことがあるかもしれない.幸い回答までには最低でも1ヶ月ぐらいの時間はあるので,その間寝ずに考え,再実験をし,共著者に助けを求める.そして,論文の修正を行うと同時に,回答書を書く.
査読に対する回答書は,相手の質問や指摘に対して個別に細かく答えるように書くのが適切である.仮に論文と関係ない質問,あるいは論文中で説明している事項に関する質問が来ても,質問を無視するのではなく,失礼にならないように論文中の該当個所を示すなどの方法で,誠実に答える.学会によっては,査読の回答書の指摘部分に対して論文原稿中に該当個所を示すよう要求しているところもある.(この際,Acrobatの付箋機能は役に立つ.)
一般に特集号の場合,投稿から採録に至り,学位審査に必要な論文の別刷りが届くまでは,最低でもほぼ9ヶ月かかると考えるべきであろう.別刷りは有料であり,あまりページ数が増えると印刷費用も増えるので,費用の確保をしておく必要があることを忘れてはならない.部数は最低単位(50あるいは100部というのが一般的である)で良い.最近はPDFでの公開も進んでいるため,学会が配布しているPDFファイルを確保しておく(該当学会員でない場合は有償).
博論を日本語で書くか英語で書くかの選択だが,私は英語で書くことにした.元論文のいくつかが英文であることと,英文では和文の場合に起こる送り仮名の不統一や表記の統一の問題が起こりにくいからである.また,組版でも和文フォントの問題が発生しないため(表紙には日本語を入れるのだが),リスクを下げるには有効であると判断した.もっとも,これは楽な道程ではないので,英文を普段から書き慣れていない人には向かないかもしれない.
公聴会の作業を開始したのは10月中旬であった.この時点で,必要な学位審査書類は研究科の大学院掛からExcelファイルが回ってきているので,それを埋めることから始めた.Excelに慣れていない私は大分難儀したが,きちんとしたレイアウトの表を作るには,
公聴会は11月17日の午前に行われた.準備期間中の同月14日は日曜日であったにもかかわらず指導教授と何名かの学生の皆さんの前で練習をすることができ,大幅に内容の削減を簡素化を行った.さらに,全日16日にはスタッフの方1名に時間を取っていただき,マンツーマンで説明を行い,改良すべき点を伺った.これだけの準備を行ったことで,公聴会用のスライドの内容は図が増え,論点数を減らし明快なものになった.公聴会当日は,副査の先生や研究パートナー,勤務先の上司等に来ていただき,万全とは言えなかったが,発表30分弱質疑20分弱の間十分なやり取りができたという実感はあった.私の妻も公聴会には同席している.
学位審査書類の中で,LaTeXで書けるものはできるだけLaTeXで書いた.また,論文の別刷りは,2組用意したが,実際に必要なのは1組で良かったらしい.このあたりの手続きは,学科,専攻,公聴会の内容や時期によっても違うので,指導教授との綿密な打ち合わせをするよう心がけなければならない.
しかし,私の場合ジャーナル論文は2本しかなかったので,これらの論文の前提となる概論を別途章立てとすることで,かろうじて5章で構成することになった.しかも,なにしろA4版double-spacingで100ページは書かなければならないので,既存のジャーナル論文を組み合わせても,業績が少ないため量が足りない.結局,大幅に文章を加え,公聴会の図も加え,その他多くの図を新たに作り加筆する必要があった.
文章構成については,過去の博論の写しを常に手元に置き,比較して問題のないようにした.同様に組版についても,フォントの大きさや行数,レイアウトなどを実際に計測し,LaTeXのスタイルファイルを適合させるため,奥村晴彦先生の pLaTeX2e 新ドキュメントクラス(jsclassesスタイルファイル)中のjsbook.clsを使うための改造に1ヶ月ほど時間がかかった.元のファイルが和文用に改良されており,英文用に先祖返りさせたりしていたのが時間のかかった原因である.もちろんその間本文の執筆は続けており,改造ばかりしていたわけではないが.
下見予稿提出後ほぼ1日で,学科の中で最も指導が厳しい事で有名な先生の1人から,
という,ありがたいご指摘をいただいた.
何しろ急いで書いているので,凡ミスが大変多く,修正は難航を極めた.上述の恥ずかしい誤りもさることながら,
などの,本文の構成に対する疑問点へのご指摘もいただいた.
また,英文の誤りについては,妻の全面的な査読のおかげで,文法ミスはかなり減らすことができたように思う.私の英語は細部をあまり気にしないで書いているため,単数/複数,冠詞,動詞の活用,性数一致といった基本が(およそ誉められたものではないが)かなりいい加減になることがある.
謝辞には,論文の執筆だけでなく,研究を支援してくれた人達全員を含めるように努めた.指導教授を含め下見をしてくださった先生を含めるのは当然のことだが,勤務先の上司や同僚,励ましてくれた人達,そして父母や妻への感謝の言葉も,限られたページ数ではあったがすべて入れた.
参考文献は,情処学会のBibTeXスタイルに準拠した.人によっては信学会の方が使いやすいかもしれない.きちんとBibTeXデータベースができていれば,あまり苦労せずに済むはずである.
実際には阪大御用達の出版社のうち1社を紹介されたので,事前に何度か直接電話で連絡を取り,見積をもらった上で,ハードカバーとソフトカバー20部ずつ印刷することにした.大分値引きしてもらい,20万円弱で住んだ.世の中の博士資格取得者の話を聞くと,だいたいこの半額の10万円ぐらいが世の中の相場らしいが,家族や知人に相談の上,印刷はきちんとやることに決めた.
印刷原稿としては片面印刷の原稿と,両面の校正用原稿,また背表紙用の原稿を用意した.ページ数については表紙の表裏以外はすべて入っていたので,あえて鉛筆では書き込まなかった.
印刷原稿を出版社に直接持ち込んだのは12月24日の午前中だった.社長さんが直接丁寧に対応してくださった.できるだけ急いで印刷していただくようお願いしていたので,ゲラが12月27日に到着し,こちらからは12月28日に返送して,年内に処理を済ませた.
このスケジュールでソフトカバー製本は1月上旬に完了し,1月13日に大学院掛に持ち込むことができた.ただし,ハードカバーの製本は1月下旬までかかったので,ハードカバーのものを大学院掛に渡して阪大図書館と国会図書館に置きたいという希望がある場合は,さらに早めのスケジュールを見積る必要があるだろう.
(ただし,他の専攻では,説明について文章を読み上げてはいけない場合もある.情報ネットワーク学専攻にて2006年1月31日に行われた口頭試問では,原稿読み上げは禁止されていた旨,同専攻の福島行信さんより情報をいただいた(多謝). くれぐれも自分の専攻や学科の手続きや禁止事項,指示事項は試験を受ける前に自分で確認しておくこと.)
最終試験(口頭試問)は2月7日に行われた.この時点で,「論文内容の要旨」「論文審査結果の要旨」などの学位審査書類の草稿をこちらから指導教授に提出し,指導教授が研究科に提出する.(草稿を提出するのは,論文内容の要約の仕事は指導教授ではなく論文の著者が行うべき仕事だからであると私は考えている.)
その後,「論文内容の要旨」「論文審査結果の要旨」が各先生方に周知され,最終判定の教授会で合否が決定し,課程博士の場合は合格者の学生証番号が張り出される.
私の場合,学生証番号が課程博士の修了者リストに載っているのを確認したのは, 3月4日のことであった.
博士論文の公開版はこちらから入手できるようにしている(紙で出版したものから若干変更).
この修了式の際,各人に修了証明書/成績証明書が1通ずつ渡される.また,事前に理由を述べておけば,追加の証明書も発行してもらえる.私は亡き父の霊前に飾るための修了証明書をもらうことにした.この証明書,実は複写防止用の透かしが施してあり,FAXで送ると「複写無効」という文字がデカデカと表れるようになっている.凝った作りである.
学位記の博士号は,「博士(情報科学)」であった.他の選択肢もあったが,指導教授から薦められたこと,また技術士(情報工学部門)と並ぶときの見栄えも悪くないので,情報科学の学問分野を選んだ.なお,正式には博士号は「大阪大学 博士(情報科学)」のように,大学名をつけなければならないことになっている.
本当に博士という称号の重み,また限界がわかるのは,これからかもしれない.しかし,これのおかげで,1つ仕事/就職の機会が増えたことは事実であり,そのことには素直に感謝しなければならないだろう.
もっとも,「教職員が,利害関係者と私的な関係(教職員としての身分にかかわらない関係をいう.以下同じ.)にあり,職務上の利害関係の状況、私的な関係の経緯及び現在の状況並びにその行おうとする行為の態様等にかんがみ,公正な職務の執行に対する国民の疑惑や不信を招くおそれがないと認められる場合」(同規程第9条の1)は,例外として認められるようだ.
私の場合,妻も阪大の職員であり,私自身も2005年3月までは企業に属する者であったため,収賄や贈賄と取られかねない行為は行わないよう努めて気を使っている.しかしながら,世の中の潤滑油として,出張等の遠距離旅行から戻ってきた時のお菓子程度のおみやげなどは社会通念上認められてもよかろうとも思う.どこが境界線かについては,過去の事例,そして自分の良心に従って判断するしかないだろう.
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